ボンゴレ邸




夜の闇に覆われたボンゴレの屋敷は、それ自体が喪に服すように静かだった。心なしか窓に灯っている明かりでさえ、その明度を落としているように思える。
音と言う音全てを雨に奪われたその光景は、まるで白黒の無声映画のようにも見えた。
雲雀は獄寺の後に続く形で綱吉の執務室へと向かった。
「十代目、雲雀恭弥を連れて来ました」
「…入って」
煌びやかな装飾ではないが、細部にまで拘った彫刻の施された重厚な木の扉越しにそう声をかけると、中からはもったいぶったような間をおいて声が返って来た。
「失礼します」
「雲雀さん、お久しぶりです。わざわざこんな所まで出向いて貰ってすみませんでした」
静に開かれた扉の中から室内へと入ると、正面の大きな窓の前に一人の男が立っていた。仕立てのいいスーツに身を包んだ、優しい面差しの青年。ボンゴレファミリー十代目・沢田綱吉だった。
「…」
雲雀はかけられた言葉に返事をするでもなしに、視線だけでそれに応えた。隣に立っていた獄寺が、普段ならばすぐに噛み付いてくるのだが今夜は雲雀と綱吉の顔を伺う様に交互に見ただけで、何も言いはしなかった。
「変ですよね。今日は雨の降る予定じゃなかったんですよ?獄寺君は濡れちゃってるみたいだけど…雲雀さんは大丈夫ですか?」
「問題ないよ。僕は不精せずに傘を差したからね」
「…盗んだ傘を、な」
獄寺の台詞に綱吉は苦笑を見せたが、雲雀は特に気にした様子もなく、表情すら変えはしなかった。
その黒曜石の瞳は、その場にいる人間全てを透過して、窓を打つ雨粒を見詰めているようにも思える。
「…山本がね、見付かった夜もこんな風なひどい雨の晩だったんですよ」
俄に、雲雀の眼球が大きく揺れた。
「珍しいね、きみがそんなにも単刀直入なのは」
「…だってどうせ雲雀さん、この話題以外興味ないんでしょ?」
「………そんなことはないよ」
何かを見透かしたように眉を寄せる綱吉に、雲雀はどこか自嘲気味な笑みを零さざるを得なかった。
獄寺は無言のまま、そっと入り口に下がり、凹凸の激しい扉に軽く背を預ける。
「それとも、お腹とか空いてますか?」
「え?」
「お腹とか、空いてませんか?言ってくれたら、何でも大抵のものはありますよ?」
雲雀は冷やりと、冷たい指先が背筋をなぞる様な悪寒を覚えた。
薄く微笑んでいる綱吉の顔に、室内の灯りが濃い影を落としている。
「…雨なのに?」
「?雨と何か関係が?」
無意識に自分自身の口から漏れた言葉に、雲雀はハッと我に返った。咄嗟に触れた唇は、室内を覆う湿気とは裏腹にひどく乾いている。
「……何でもない。お腹は空いてないよ。それよりさっきの話の続き、して」
「…そうですか。まぁ、雲雀さんがそう言うなら…」
綱吉は、雲雀の様子をじっとその双眸で捉えたまま、やはり困ったように眉を寄せ、ゆっくりと口を開いた。
「山本の死体が発見されたのは8日前のことです。場所は此処からかなり離れた郊外の森の中。最初に見つけたのはその近くに住んでいた散歩中のご老人でした」
雨が、先程よりも一層強くなり、割らんばかりの勢いで窓硝子を叩き始めた。
「雲雀さんも知っていると思いますけど、発見された日よりももっと以前…今から一月以上前から既に山本の消息は此方で把握できていませんでした。ちょうど極秘任務を持って行った時期とも被ってましたし、その関係で僕たちにも居場所を隠していると思ってましたから、ボンゴレとして何か捜索行動に出るようなことはしませんでしたけど…」
「へぇ、そうなんだ。彼いなくなってたんだね」
「…知ってるくせに、とぼけるんですね」
何の感情もこめないように選んだ雲雀の台詞も、綱吉は冗談とばかりに笑い飛ばす。
少しムッとしたが、雲雀はただ瞳を逸らしただけだった。
「発見されたときは既に死後3週間以上は経過している状態だったと思います…多分。何せその時点で死体の痛みがひどくて、僕と獄寺くんとで本人確認するのもやっとの状態でしたから、正確な時期は…」
雨粒が、窓に当たって大きく広がり、涙のように伝って流れ落ちていく。止め処なく繰り返される其の循環に、いつ目を離せばいいのかわからなくなってしまっていた。
雲雀はそっと、掌を握り締めてみる。思ったよりも、冷えていた。
「……………何か、獣のようなものに、食いちぎられていたんですよ。体のいたる箇所が」
すっと低くなった綱吉の声のトーンに、雲雀は反射的に声の主への向き直った。案外に簡単に、雨粒からは目をそらせるものだった。
「…獣…?狼でもいたのかな」
「まさか、いくらなんでも狼に山本は殺されないでしょう。俺は、犯人は敵対するマフィアだと思ってるんですよ。しかも、どうやら山本は生きながらに肉を奪われたらしいんです…本当にむごい…」
「そう、友達思いのいきらは、そりゃあ許せないだろうね」
「許せませんね」
そっと、長い睫毛を伏せる。部屋の中の空気が、ひどく淀んで自分に絡み付いてきていることを、雲雀は感じていた。
「雲雀さんは?許せなくないんですか…?」
綱吉の口調は、不思議とそれを責めるようなものではなかったが、隠し切れない悲しみが、ありありと浮かび上がってはいた。
「…さぁ、どうかな」
雲雀と山本が浅からぬ仲であったことは、ファミリー内でも公然の秘密というやつだった。今更誰も突っ込んだり冷やかしたりすることもないはずの、ことだったのだ。
綱吉が、ほんの少しだけ吐き出した息が、思いもかけず溜息として姿を現す。
それをきっかけにするように、雲雀は静に立ち上がった。
「あの、雲雀さん!…山本の死のこと、連絡遅くなっちゃってすみませんでした…」
「…別に。何で謝ったりするの?」
その場を去ろうとする雲雀の背中に、それでも何かを必死に訴えようとする綱吉の声が負ぶさる。
「実はまだ、山本のちゃんとしたお墓ってないんです。並盛に作ろうかとも思ってて…。取り合えず今は遺体の発見された森の処に、簡単なものですけど立ててあるんで、よかったらお参りしてやってもらえませんか?」
雲雀はちらりと腕に嵌めている革のバンドの腕時計を見た。まだ真夜中ではないにしろ、もうすぐ日付も変わろうとしていた。
「獄寺くんが、車出してくれると思いますよ」
駄目押しのような呟きが、耳に痛い。
雲雀は苦笑するように、小さく息を吐いた。
「…元々、そのつもりだったから」
雨はまだ、弱まる素振りも見せない。